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【コラム】マザーズデー(母の日)のお話し

ガラスドーム

《 Belles Fleurs Tokyo フラワーデザインコラム vol.3 》

ルドゥーテ「カーネーションの花束」5月の第2日曜日の「母の日」の起源には幾つかの説がありますが、カーネーションと結びつく話は、アメリカ発祥の説です。

1908年(明治41年)にアメリカでアンナ・ジャービスという女性が亡くなった母親の追悼式を行い、教会を母親が好きだった白いカーネーションで飾り参加した人々にも配ったのが始まりです。やがてこの風習はアメリカ全土に広まっていき、1914年(大正3年)には5月の第2日曜日を母の日と議会で制定しました。
(右の絵は、薔薇の画家で有名なルドゥーテが描いた「カーネーションの花束」『花美選』より)

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実際園芸』(第4巻5号)「マザースデーの話」母の日のカーネーションには、白い花と赤い花の話があります。このカーネーションの花色について、当時のアメリカに滞在していた日本人の園芸家(花き装飾家)の恩地剛氏が。1928年(昭和3年)の『実際園芸』(第4巻5号)に「マザースデーの話」を寄稿しています。

「創案者のジャーヴィス嬢が、白色カーネーションが、彼女の母の愛花であったので、それをのみ使用した事から、当日の花は、白色カーネーションでなくてはならない様に思われていました、そのために白色カーネーションは、年々高価になって一般の需要に応ぜられない様になったのです。」と書き、アメリカでも、白色カーネーションでなくてもいい動きが出てきたことが書かれています。
現在は、母親が健在の場合は赤いカーネーション、母親が亡くなっている場合は白いカーネーションを贈ることが一般的とされていますが、この慣習の起源は明らかではありません。

では、「母の日」が日本に伝わったのはいつなのか?についても諸説ありますが、欧米から来たキリスト教徒が中心となって日本に広めた説が一般的です。そんな「母の日」が広まる中で、1931年(昭和6年)には、大日本連合婦人会設立を機に、当時の皇后の誕生日3月6日を「日本の母の日」とされました。本来の母の日の意味合いと、少々違っていたようです。

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森永製菓の新聞広告もう一方で、バレンタインのチョコレートと同じ様に、日本の製菓会社の広告が力を発揮しました。戦争の足音が聞こえ始めた1936年(昭和11年)に、森永製菓は全国に「母の日」の行事を広めようと「森永母を讃へる会」を結成しました。翌12年には、「森永母の日」の行事を全国規模で展開することになり、第一回「森永母の日大会」は、5月8日・9日の両日、東京・豊島園の野外ステージを舞台に開催されました。「ありがとうお母さん!」の思いのままです(画像は1937年/昭和12年の新聞広告。右から読む書き方に時代を感じます)。
そして戦後日本でも、「母の日」をアメリカに合わせて5月の第2日曜日に変更し、それが現在まで続いています。

「母の日」は、亡くなった母を尊敬する気持ちから生まれた、大切な記念行事です。「お母さんありがとう」と毎年贈るプレゼントも、その由来や起源を知ることで、より特別なものになります。
お母さんの喜ぶ顔を思い浮かべながら、今年の母の日も感謝の気持ちを伝えてみてください。
5月14日が素敵な日になりますように。

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